バリ島ウブド便り

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プナタランサシ寺院に行ってきました

先日、ウブドの北ペジェン村にあるプナタランサシ寺院に行ってきましたので、その時の様子をレポートします。


プナタランサシ寺院はバリ島でも重要な6大寺院のうちの一つで、寺院内には「ペジェンの月」と呼ばれる、青銅製の銅鼓が安置されています。
この銅鼓は、直径が160cm、高さが184cmと大きなもので、紀元前3世紀のものと言われています。青銅製の銅鼓としては世界最大のもので、アジアの青銅器時代を代表する、大変貴重なものです。



寺院は、ペジェン村とタンパクシリンを結ぶ重要な街道沿いにあり、入口にはこんな象(?)の石像があります。ちなみに、この街道を南に行くとゴアガジャ遺跡が、北に行くとグヌンカウイ遺跡やティルタエンプル寺院がある、お寺・遺跡巡り街道なのです。


入口を入るとすぐに受付があるので、ここで参拝料を払います。参拝料は決まっておらず、寄付金を支払い、ノートに記帳します。
また、寺院内に入るにはサロン(腰布)が必要ですが、こちらの受付で無料で貸して貰えます。


受付のある場所は、寺院の前庭で、お祭りの時踊りを踊ったり、ガムランを奏でる集会場を作っていました。

前庭の突き当りには、立派な割れ門があり、そこを入ると寺院の境内です。



割れ門の前には、星型の小さな池もありました。



境内はきれいに手入れされた芝と、幾つものバレ(東屋)がありました。バレの中には、バリ・ヒンドゥーの3神(ヴィシュヌ・ブラフマ・シヴァ)が祀られたものもあります。



この境内の中に、「ペジェンの月」と言われる、世界最大の銅鼓があります。
大変貴重な遺産なのですが、普通に屋台の上に安置されていました。(これでいいのでしょうか・・・?)


この境内の裏手にも、お寺があり、そこには

シヴァ神を祀ったレリーフや

7重のメル(多重塔)などがありました。
普通、観光で訪れる方は、こちらのお寺の方まではいかないそうなので、もしこちらを訪れる機会があったら、裏手のお寺も見られるといいですよ。


ところで、今回プナタランサシ寺院は、一人でバイクで行ったのですが、駐車場にバイクを止めたら、ちゃんと正装したおじさんが近寄ってきて、境内の中をずっと案内してくれました。

私は、少しインドネシア語を理解できるので、ずっとインドネシア語で案内してくれましたが、英語もできるそうです。ただし、日本語はほとんどできません。


ひとしきり案内してくれたあと
「私は、このお寺から給料をもらっているわけではないんだよ・・・」とチップのおねだり。財布を開けたら、細かいお札はRp10,000しかなかったので、Rp10,000をチップとして渡しました。
もっと欲しそうな顔をしていましたが、この程度で十分でしょう。


ツアーのガイドさんや、地元の方と一緒に行ったら、多分近寄ってこないと思いますが、観光客だけで行ったら、近寄ってきて勝手にガイドを始めますから、必要なければ断ってください。
ただ、一生懸命説明してくれますから、良かったらチップをはずんであげてくださいね。


ところで、この「ペジェンの月」には、こんな昔話があるそうです。


むかし、バリ島には13の月があったそうです。
ある日、そのうちの1つがペジェン村に落ちてきてヤシの木に引っ掛かりました。月は大変明るく、夜になっても真昼のように周囲を照らしていました。
そうなると、商売あがったりなのが泥棒さん。
一人の泥棒さんが、月の明かりを消そうとしてヤシの木に登り、おしっこを引っかけたそうです。
すると、月は大爆発を起こし、泥棒さんは即死。そして月は地面に落ちて、ペジェンの月になってしまったそうです。


それと、もうひとつ・・・
普通、バリ島のお寺はウク暦という210日で一周するバリ島独自の暦に沿ってお祭り(オダラン)が行われます。
しかし、このプナタランサシ寺院はこのウク暦を使わずに太陰暦であるサカ暦を使ってオダランが行われるのです。
ウク暦は、16世紀にイスラム勢力の侵攻によりジャワ島からバリ島に逃げてきたマジャパイ王国の人々によって確立したジャワ・ヒンドゥー(現在のバリ・ヒンドゥー)文化の暦です。つまり、そのウク暦を使わず、サカ暦を使ってオダランが行われるプナタランサシ寺院は16世紀以前からこの地にあった由緒あるお寺だと言う事がわかります。